会報2014年12月10日(水)本年度第21回(通算2160回)例会


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2014年12月10日(水) 本年度第21回(通算2160回) 例会 

 

点鐘、ロータリーソング、ロータリーの綱領(第一例会のみ)、スマイル握手】

会長あいさつDSCF8818

先週4日千歳ロータアクトの例会があり会長、幹事で出席してきました。アクトの例会では、最後に提唱クラブによる講評が毎回ありますが、この講評を次回例会より各提唱クラブ持ち回りで行うことになりました。6日には交換留学生の送別会があり大勢の出席を頂いてありがとうございました。本来であれば、アントニアの他ブリジットも出席のはずなのですが、皆さんご存知の通り中途帰国のため、その場にはいません。残念です。BS放送でグレートトラバースという番組を観た方いるかもしれませんが、その話を少しします。内容は日本の百名山を半年以上かけ7800km走破するというものです。今年4月屋久島から始まり海峡や水道はカヤックで渡り走って歩いて名山を登り百山目の利尻富士を目指し、ひたすら進むという番組です。圧巻なのは津軽海峡を3時間半かけてカヤックで渡るところや、強風の中9時間半もかけて利尻島に渡る場面は迫力がありました。この番組で日本は南国から雪降る北国との季節感に恵まれ、山頂からの素晴らしい眺望、そして自然の豊かな国だと改めて感じさせられました。

幹事報告DSCF8819

・豊栄神社より年中行事のご案内

・恵庭市交通安全協会より安全祈願祭のご案内(1/20)

・千歳RC新年交礼会のご案内(1/8)

・バギオ基金の寄付依頼

 

 

本日のプログラム<クラブフォーラム 会員卓話>

★国際奉仕委員会 中川委員長DSCF8821

本日の卓話担当は国際奉仕委員会です。米山の三浦委員長、財団の久野委員長はどちらも実年齢よりとてもお若く、海外旅行の経験と知識が豊富ですので、本日はお二人に卓話して頂こうと思います。宜しくお願いします。

 

 

 

 

DSCF8823★米山奨学会委員会 三浦委員長

「故郷樺太(現サハリン)の変遷」

北海道に一番近い外国、しかし、近くて遠い国と感じているサハリンについて話をさせて頂きます。(配布済の資料サハリンの詳細を参考)昔、樺太は、極東未開の地で、正式にはどこの国の所属でもありませんでした。先住民として主に北部地帯には、ギリヤーク・ニブヒ・ウイルタ等オロッコと言われる民族、南部地域には樺太アイヌが住んでおりました。歴史上、日本とロシアがお互いに進出して領有権争いをしていましたが、明治二(一八七五)年、千島樺太交換条約を結び、サハリンは正式にロシアの領土になってしまいました。その後、日露戦争の勝利で、明治四十(一九〇五)年、ポ-ツマス条約を結び、北緯五十度線の南半分が日本の領土となりました。樺太は、天然資源豊富な宝の島で、木材・漁業・石炭等の資源開発が活況を呈し、産業発展が著しく大勢の日本人が移住を致しました。昭和二十(一九四五)年、には、約四十万人が在住していましたが、八月九日突如不法にも不可侵条約を破り宣戦布告をして進攻して来たソビット軍に占拠されてしまいました。日本の統治年数は僅か四十年間で、残念ながら、樺太を放棄せざるを得なくなりました。(現在、ロシアとの平和条約未締結で、正式にはロシアの所有ではなく実効支配されている状態です)当時、私達家族は、豊原市(現ユジノサハリンスク)の郊外となる「小沼」と言う、鈴谷岳山麓に連なる清流の晴気川・鈴谷川のほとりに広がる、肥沃な緑野に恵まれた自然豊かな農村で安穏に暮らしていました。私達家族は終戦後約2年間、日本に帰る事が出来ずに、ソビエト政権の許で暮らし、共産主義の暗くて矛盾した苦しい生活を体験してまいりました。(今の北朝鮮と同じような暮しを強いられました)昭和二十二(一九四七)年、少年時代を過ごし学び遊んだ思い出多い故郷を、思ってもみなかった敗戦と言う現実に直面して、着の身着のままの姿で無念にも故郷を去る事になり北海道へ引き揚げて参りました。平成七(一九九五)年、二度と戻る事はできないだろうと思っていた、「サハリン」と名前が変わってしまった故郷の島樺太に、約半世紀ぶりに訪れる機会が与えられました。同級生などに「住んでいた家も知っている友達も居ない、街の様相も変貌してしまった所に何故行くのだ」と笑われながらも、以降、毎年のように訪れています。最初に訪れた時の印象は、空港など公共施設の粗末なこと、また、一番驚いたのはトイレの汚さで、男女共用で便座も盗まれたのか無く、横にバケツが置いてあり、チリ紙が散乱したままになっている情景でした。その他、インフラ整備も整っておらず、道路も未舗装水溜りの多いガタガタ道で,外灯も少なくて夜道は暗く、物騒でとても独り歩きなど出来ない状態でした。アパート群も殆んどが、くすんだ灰色のコンクリートがむき出しの儘のパネルを積んだ建物でした。個人住宅も粗雑な木造平屋建てが多く、板きれと言ってもよい不揃いの材料で防犯を兼ねて家敷き全体を塀で囲っておりました。商店等も、マガジンと表示をした看板があるだけで外から中の商品は見えず、重い頑丈な板戸の扉を入いって無愛想な店員の応対で買い物をしなければなりませんでした。その他、街角に点在するキオスクも、表側のガラス面に商品が陳列してあり、店舗中央の小さなガラス窓からお金を渡して商品を受け取る仕組みでした。道路を走る自動車も、自国製の旧式な車は散見する程度で、殆んどが、日本の中古車で、何々商店・株式会社と書かれた儘の大小様々の車が横行しておりました。半世紀ぶりに訪れた故郷は、街全体が鈍くくすんで華やかさが無く、発展しているより、歳を経て衰退しているような印象を受けて失望を致しました。当時、島の北部で、「サハリンプロジエクト1・2」と称した、化石(原油・天然ガス)燃料採掘事業が進められておりました。サハリン州政府を表敬訪問する機会があり、その時に面談をした要職者は「大きな石は、動かすまでに相当な力が必要である、一旦、石が動き始めたなら、その加速度は凄いものになる。現在のサハリンは、今ようやく動き始めているところだ。」と、サハリン発展の実現に自信を持って語ってくれました。以降、訪れるたびに、主要都市(ユジノハハリンスク・豊原、コルサコフ・大泊、ホルムスク・真岡)は、サハリンプロジエクトの成功により急速に発展し、目を見張る変貌をしております。二〇一三年のサハリン州業種別企業取引高は、総額八五〇、五七七百万ルーブル(約二兆八千億円)輸出の主要産業品目は、石油・ガス・水産物で、年間貿易額は約一兆八,六百億円で、原油の輸出先は、韓国五四%・日本二九%・中国一七%、ガスの輸出先は、日本八十%・韓国一九%・中国一%、水産物の輸出金額は四七一,五百万USDです。 主要道路の拡幅舗装、市街地の歩道や街路灯整備は急速に進められており、道路を走る自動車も各国の色々な車種の新車が多くなり、日本の車は目立たなくなりました。

公共施設ビル・アパート・ホテル商店等も西欧に劣らない明るくオープンな近代的建築で建設されて、街の様相は一変しております。特に、州都ユジノサハリンスク郊外に大型複合商業施設(シテイモール)が建設されて、広い駐車場が満杯になるほど利用客が集まり連日盛況のようでありました。故郷を追われた者でありますが、郷土が寂れて行く淋しさよりも、急激な発展をしていることを喜ばなければならないのかと複雑な気持ちであります。

 

★ロータリー財団委員会 久野委員長DSCF8825

「ポルトガルの旅 10日間」

 11月1日 千歳空港発 8時  成田着 9時30分 成田での待時間 3時間 成田発 12時30分 成田→ドイツ(フランクフルト空港)→ポルトガル(リスボン) でフライト時間 約17時間・待ち時間9時間 合計 26時間で ようやく到着・ホテルへ・・・時差は9時間です。   

ツアーは13名、内、北海道は3名でした。 ポルトの街からバスで観光が始まりました。 街の道路は石畳で交差点は、ほとんどがロータリーであまり信号は有りませんでした。交通はスムーズに効いて居り感心しました。車は日本車が5%~10%位でドイツ・イタリア・イギリス車です。

交通は右側、駐車は道路の両サイドに止めてます。気候で雨期で突然のどしゃ降りに成ります。気温は10~17度位で秋でも紅葉はあまり綺麗ではないです。この街は、10~13世紀に建設される駅舎はタイルで出来ていて大変素晴しい、修道院は、ゴジック様式で内部は金箔が多く使用されたバロック様式金ピカです。 ワインの街でサンデマン社1790年創業の老舗(約230年)ポートワインの発祥の地です。上流には多くのブドウ畑が広がっております。美味しいワインを沢山呑み疲れが取れました毎日バスで各都市の観光で、ほとんどが12世紀頃の修道院とキリスト教会等です。コインブラ大学に行きました。1290年に創立、ポルトガルで最も古い学校で、王室のチャペルが有り、パイプオルガンのパイプは約2000本、壁などは金箔でピカピカ・・又、図書館も有り日本の国会図書館より豪華です。本に虫が付くのでコウモリが居て虫を食べている・・・大変驚いた。エヴオラの街に寄り、カステラの原型とされるパオン・デ・ロ と云うお菓子を食べましが日本のカステラとは全く違い、中はトロトロ・フワフワです。ナザレでは7枚のペチコートとミニスカートをはいた おばあちゃんに出会いとても可愛いかったですよ、又、未亡人になると黒いドレスです。今日から3日間はリスボン市観光・・。昨年ロータリーの世界大会を行った都市で、人口は約100万人・・山や坂が多い街です。乗り物はバス・電車・ケーブルカー・地下鉄は橋の上を通りビックリしました。ヨーロッパの最西端に行き、到達証明書を貰いました。ここには地元のロータリークラブの石碑が建っていました。カモインス峠「ここに地終わり・海始まる」の

一説が刻まれている。16世紀に建てられた要塞兼能の監視塔の前に世界地図が有り、その中に日本が有り、その時の年号が1541年と入って居ました。ポルトガル船が大航海時代、豊後に漂着したと云う記録だそうです。今の日本と形の違いは有りますが、あまり大きく変わってはなく感心しました。ポルトガルのワインは世界第8位、又、コルクは世界の60%を生産、その他オリーブオイル等が有名です。

 

ニコニコボックスの紹介

会 員 名 提  出  理  由 ニコ数
林 俊樹 急遽、仕事の為早退します
竹田一則 寒くなってきました。水道凍結に注意して下さい。
前田利和 アントニア送別会 出席ありがとうございました。
川口了久 訳あって早退します。
弘中正利 札幌で会議があり、早退します。
寺本幸司 カティーサーク宜しくお願いします。
杉本三之助 前回休みました。風邪引きました。
中里邦治 来週は早朝例会ですね!
早瀬源一
中川富雄 三浦さん、久野さん、卓話ありがとうございます。
弘中司嘉子 遅刻しました・・・こんにちは!

合計11口でした。ご協力有難うございました。 

 

本日の出席状況

出席者 28名、メイクアップ 3名、合計 31名

 

次週のプログラム

12月17日(水) 年次総会 早朝例会 次年度理事・役員発表/指名委員会

 

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<交換留学生・アントニアさん(ホストクラブ 長沼RC)帰国送別会>

12月6日(土)18:00より、いちえにて行なわれました。当クラブからは17名の参加となり、長沼RC、地区青少年委員会、交換留学生及び候補生と共に楽しく語り合いました。中でもアントニアさんのプレゼンテーションが素晴らしく、しっかりと習得した日本語で留学中の思い出を語り、寂しさと御礼の気持から涙を流すシーンもあり、聞いている側ももらい泣きするほどでした。

晴れ着姿も大変美しく、写真を撮られる事に大忙しでした。当クラブのメイン事業でもある交換留学生の派遣・受入れは大変意義のあるものだと改めて実感し、身の引き締まる思いでした。

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